つわの農業実践プログラム

 島根県鹿足郡津和野町の“つわの農業実践プログラム”(津和野ではじめる毎月一回1泊2日の農業)に9月から参加している。
 コースは、@わさび、Aメロン、ハウス栽培、B里芋、山菜、ほうれん草の3つで定員は各3名。期間は9月末から平成25年3月まで月1回ペースで計6回の研修。初回から参加している3名は全てわさび希望で私と伊丹からのD氏、広島からのNさんである。

 現在の北九州の居所は住み始めて50年。私の父をはじめ、私が子供の頃に大人だった人はだいぶ亡くなり、第二世代が住んでいる。北九州のベッドタウンの団地では同年代が一斉に住み始め、同じように歳を取り、老年を迎えて子供たちは大半が外に出て老人だけの団地になっているようなところもあるが、私の町内は第2世代の定着率が極めて高い。その原因の一つは、歩いておよそ10分以内にスーパー、病院、郵便局、銀行、学校、映画館、家電量販店、バス停、電停と大概のものがあり、住宅街で比較的静か等、住環境が良いことが影響していると思う。悪い点と言えば、地域的に柄が悪いことくらいであろうか。北九州近辺は全国的にみて犯罪発生率も高く、元々労働者の街で気性も激しい。

 では便利さの点で現在の生活に満足しているかというとそうではない。私の根源にあるのは3歳まで生活した島根の強烈な印象のような気がする。茅葺の家で、囲炉裏があり、家の周りには水路があって、綺麗な水が流れている風景。電気器具と言えばラジオくらいか。フィラメントが直線状で磨りの入っていない透明ガラスの電球はあったかもしれない。エコだ地球環境だのいうが、一方で電気使いたい放題の現代の生活は嘘っぱちだらけという意識もあるが、エアコンつけてこの原稿を書いている自分もいる。

 私の父親は北方領土を北海道から見てみたいと言いながら、そんなちっぽけな希望も実現できずに死んだ。私ももう一度、田舎の生活を実現したいと思いながら、実現できずに死んでしまうのかもしれない。

 縁があって、“つわの農業実践プログラム”の案内が募集締め切り直前に来た。役場に電話して、参加することにした。わさび栽培の研修は、日原の左鐙(さぶみ)地区の大庭さん(35歳)が講師である。最初は怖そうなお兄ちゃんに見えたが、慣れたらそうでもなかった。大庭さんは、小学館の美味しんぼ109巻“日本全県味巡り島根編”のp137に載っている方である。若いが島根旧来の渓流式に対して、初めて静岡の畳石式を導入した人である。なぜ私がわさび栽培コースを選択したか。それは私が育った山奥の環境と山登りのコースで見た打ち捨てられた渓流のわさび田の影響かもしれない。

 9月の初回は、土づくりで加工原料用わさびを栽培するハウス内の土壌に堆肥や肥料を均一に散布して混ぜる作業。11月は山から掘り出した苗をハウスに植え替える作業。


 11月の風景。紅葉が綺麗だった。


 今回、12月の風景。標高は215m位と思うが、寒かった。作業は種子から育てた小さな苗をハウスに植え替える作業。苗を掘り起こして、土を落とし、ハウスに運んで苗の大きさ別に所定の位置に植え替える。


 30mのハウスに受講者3名と大庭さんが苗を植えていく。一畝に約3000本。3畝全部に植えきっていないので9000本弱か。中腰の作業なので腰の痛いこと。日頃デスクワークしかしない60近い老体にとっては相当厳しい作業であるが、やり終えると充実感がある。最初は慣れない作業なので本当にこれで植え替えた苗が育つのか、不安な面もあったが、初日に植えた苗が二日目にすっくと元気にしている姿を見るとわさびの苗の生命力に感心する。


 二日目の昼で受講は終わり、午後から役場の人と空家を見に行った。この奥は安蔵寺山の奥谷登山口。この奥には民家は無いと思う。ここは結構な集落であるが、最後の集落。上の写真に空家は写していないが、オール電化にウォシュレット、光ファイバーも施設されており、私の現在の家よりも進んでいた。ここを2004年6月5日に安蔵寺山に登るために車で通ったことがあるのだから、これも何かの縁だと思う。


 帰りに六日市に寄って盛太ヶ岳に登って帰ろうと考えていたが、雪も降って車中泊も寒そうなので家に帰ることにした。写真は国道187号線沿いの高津川。ここで鮎も山女も釣ってみたい。毎日山に入るような生活がしたい。どれだけ健康的か。父親のように夢を実現できずに死んでいくのか、後は縁に任せたい。

(2012年12月11日 記)

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